すげかえ可能
若いときは、自分の仕事に誇りをもち、やりがいを感じながら日々遅くまで残業をしたり。しかし、ある時、部署が変わったりした時、それまでお付き合いのあった顧客から、あっさりと「ああそうですか」式のリアクションをもらったりすると、自分は何のために、仕事をしてきたのだろうと思ったり。よかれと思って取り組んで来たことも、さほど重要でなく、むしろ標準的な作業で十分だったりするのです。自分がいなくても、違う人がその部署を担当できる。まさにすげかえ可能なのです。
すげかえ可能であることを、定年に際して気づかれる方が川柳を詠まれたりして、私がいなくても会社は回っていると少し寂しくなったりするのです。
しかし、すげかえ可能でよいのです。確かにその一時代を、まっとうに仕事をして、給料をもらってご飯を食べてこられたのですから。それが重要な社会参加だと思います。