編纂
文字の書かれた竹簡などを糸で結び合わせて情報を体系立てることのように、情報の糸を縦横に組み合わせて平面や立体の情報に関連付ける作業をいう。
昔、歴史の勉強をするには自分で年表を作るのがよいと聞いたことがあるが、そのまま実行せずじまいになった。また自分の考えで言葉を並べて、相互に関連付けながら自分の辞書をつくる作業についても、すでに広辞苑などの辞書が存在している世の中においては無駄な作業のように思えるかもしれない。しかし本当は自分の脳に合うように、自分で情報を並べ変えてゆかなければ、自分の理解にまでたどり着くことができないように思える。当然に、先人が既に到達した叡知を脇に置いて、凡人が同じ作業を一から始める愚となってはならないが、とにかく情報は、演習という形で、こなれさせなければ自分のものにはならない。人類の叡知がトランプカードの一枚一枚に記されているとすれば、そのトランプカードを自由に操ることができなければ宝の持ち腐れとなってしまう。そのカードを動かすということは、結局自分の好きなように並べ変えていくことになる。
バスガイドは、車窓から見える風景に合わせて縦横に歴史や地理、文学などを語る。その能力の源泉は何か。テキストを何度も読み込んで、自分でノートにまとめて暗記する。先輩ガイドの業務に一度だけ立ち会わせてもらって実践風景を間近に体感する。そして後は独り立ちなのだという。自分が生きていくための生活の糧として、即実践ということが、過酷ではあっても、自分の能力を高める一番の近道なのかもしれない。真剣勝負に向き合う姿は輝いていて美しく貴い。
例えば労働基準法とは何かと問う。それを説明するためには、自分で言葉を発して、自分で体系立てて考えることなしには、何も語ることなどできないことを知る。ゆえに編纂とは、生きていくために自分の脳に、人類の叡知を並べ置くことなのかもしれない。叡知を自在に扱うために、編纂という作業には、かけがえのない意味が存在している。