衛霊公第十五(390)論語ノート
子曰。人無遠慮。必有近憂。
子曰く。人遠き慮りなくんば、必ず近き憂えあり。
遠き慮りとは、遠くに思いを巡らせるという意味であり、憂えとは、心配してふさぎこむことを表します。つまり、「人は中期展望を持たなければ早晩、手詰まりになる。」という意味に解釈することができます。そして本章は、そういう意味に解釈をしたいところです。しかし遠慮とは、現代でも普通に使われる言葉です。その意味として考えれば、それほど遠くのことを考察するような意味ではなく、「身近な他人に気を遣う。」という程度の意味に使われています。そして近憂とは、ここでは遠慮に対して当てられた言葉であるため、「近くの心配事」というような意味として考えることができます。つまり、これを素直に読むと、「子曰く。人、遠慮なし。必ず近しき憂えあり。 人は他人を気遣わないが、必ず身内の心配はするものだ。」という程度に解釈することもできそうです。