1. 学而第一(001)N

学而第一(001)論語ノート

子曰。学而時習之。不亦説乎。有朋自遠方来。不亦楽乎。人不知。而不慍。不亦君子乎。

子曰く。学んで時に之を習う。また悦ばしからずや。朋あり、遠方より来る。また楽しからずや。人知らずして慍(いきど)おらず。また君子ならずや。

孔子が言うには、学んで時を決めておさらい会を開くことは何と悦ばしいことだろう。同じ道に志す友が遠方よりやって来る。何と楽しいことだろう。人が私を知らなくてもうらみに思わない。何と立派なことだろう。

毎日学習を積み重ねると自己の成長が実感できて安心感を得ることができる。何と悦ばしいことだろう。誰でも道に志すものは、同じ学習の遠い道のりを越えて成長を勝ち取っているのだから、その人から見れば私の努力も理解されるだろう。そう思えば楽しいじゃないか。こういう事実に思いを致せば、いま私が評価されていなくても良いことのように思われる。そんなうらみを抱かない境地に至ることは、立派なことだろう?

本章は、反復学習によって得られる精神的安定感を述べている。そして、子罕第九(227)にあるように、「来る」とは、成長するという意味だと思われるので、つまり成長する人は同じように努力を重ねているのであって、その人が私を見れば、どれほどの努力を重ねたかを理解してもらえる。だから、いま誰からも評価されない境遇にあったとしても、その朋がいてくれると考えるとそれで良いではないかという趣旨に読むことができる。つまり本章は、反復学習の安心感と、朋の存在を指摘して、黙って努力を続けていればよいと教える章だと気が付いた。こういう大切な意味は今まで誰も教えてくれなかった。