ジェンダー
ジェンダー(gender)とは「生物学的な性差に付加された社会的・文化的性差」を表すとされています。生物学的性差とは生殖器の違い、子を出産する体の構造や体力の違いなどを表します。そして社会的文化的性差とは、男性は外で働く、女性は家事や育児に専念するというようなその時代ごとの制約を伴った男女観の差異を表します。つまり社会的文化的性差とは「性差」ではなく「男女観の差異」のことだと思います。
ゆえにジェンダーとは「生物学的な性差の上に時代の制約をもって拡張された社会的・文化的な男女観の差異」を意味すると言い換えることができると思います。そしてジェンダーは将来に向かって解消されるべき差異として捉えられています。「ジェンダーフリー」という言葉がありますが、これは「生物学的性差を拡張した男女観の差異をなくす。」という意味に理解できます。生物学的な性差は存在しているが人間の可能性の平等に照らしてそれ以外の男女観の差異は解消してゆこうという展望だと思います。
しかし「ジェンダー平等」という言葉はどういう意味なのかわかり難いです。「生物学的性差を拡張した男女観の差異は平等である。」とは「外で働くことと家事や育児に専念することは等しい重みをもつ」と述べているのではないと思います。おそらく「男女平等」の言い換えではないかと。男女という生物学的性差よりも自認する性が多様であることが社会的に知られるようになったため、「男女」では表現できない「人間の平等」を「ジェンダー平等」と表現しているのだと思います。ただ私は「差異」を「平等」ということの混乱が生じていると感じています。