洗い浚(ざら)い
洗うとは水できれいにすること。さらうとは水の底に溜まったものをすくい上げることをいう。洗うことで濁りが取れたものをすくい上げることになる。洗われるのは汚れた水槽かもしれないし、人の心かもしれない。汚れて濁って隠されていることを洗ってさらってきれいに明らかにせよという外から見た言葉だと思われる。しかし「悪行を洗いざらいぶち撒けてやりたい。」というふうに内部告発的な思いを表す言葉としても使われる。本来、自ら話すのであれば洗ったりさらったりする必要はなく、包み隠さず話せば良いだけのことになる。しかし精神的高みを目指すとき、自らを客観視する価値観を得て洗いざらいの自己変革を展望できるのかもしれない。