1. 子路第十三(322)N

子路第十三(322)論語ノート

子貢問曰。何如斯可謂之士矣。子曰。行己有恥。使於四方。不辱君命。可謂士矣。曰。敢問其次。曰。宗族称孝焉。郷党称弟焉。曰。敢問其次。曰。言必信。行必果。硜硜然小人哉。抑亦可以為次矣。曰。今之従政者何如。子曰。噫。斗筲之人。何足算也。

子貢問うて曰く。何如(いか)なれば、斯(さ)きて之を士と謂うべきかな。子曰く。己を行いて恥なし。四方に使いして、君命を辱めず。士と謂うべきかな。曰く。敢えてその次を問う。曰く。宗族孝を称せん。郷党弟を称せん。曰く。敢えてその次を問う。曰く。言うこと必ず信。行うこと必ず果。硜硜(こうこう)然として小人たるかな。そもそも亦以て次を為すべきかな。曰く。今の政に従うものは如何。子曰く。ああ、斗筲(とそう)の人、何ぞ算(かぞ)うるに足らんや。

子貢が問うて曰く。どうすれば求道の学徒と謂うべき者と、そうでない者を切り分けられますか。子曰く、其の言が、其の行いに過ぎることを恥と知る。外国に使いに出されて立派に使命を果たすだけの力量を備える。それなら学徒と言ってよい。子貢曰く、敢えてその次を教えて下さい。孔子曰く、必ず親族のものが孝行といい、必ず町内の人が好しとするものなら、学徒と言ってよい。子貢曰く、敢えてその次を教えて下さい。孔子曰く。言ったことは必ず守り、行ったことは必ず果たす。お前というやつは、まったくコチコチの小人だな。まあ何というべきか、これが(お前が望む、)次の答えというべきだろう?子貢曰く、今の政治に当たっているものはどうですか。孔子曰く、ああ、つまらない。どうして数えるにも足らんよ。

この章は、子貢が「求道の学徒」たる条件を孔子に問う場面です。まず子貢は、「如何(いか)なれば、斯(さ)きて之を士と謂うべきかな。」と孔子に問います。ここで、近称の指示詞としての「斯」を敢えて「斯(さ)く」と読む必要はないかもしれませんが、ここは心理的な背景として「士と謂うべきもの」とそうでないものの境界線を問う意味が含まれていることを、原義で示しました。

次に、「行己有恥。」についてです。ここは憲問第十四(361)「子曰。君子恥其言之過其行。(君子は其の言の其の行いに過ぐるを恥ず。)」に通じるものとして、学徒に対する戒めの言に理解したいと考えます。そして「使於四方。不辱君命。」についてです。ここでは雍也第六(125)で季康子に問われた孔子が「賜也達。於従政乎何有。(賜や達なり。政に従うに於いて何かあらん。)」と答えていること。また先進第十一(255)においても、孔子は、「言語。宰我。子貢。」=「弁舌がたくみであるのは宰我。子貢。」と述べていることから、これらの時系列的な史実は解りかねるものの、子貢が他国に使いに出されて君命を達することができるものであることは、孔子の前提とされていると考えます。つまり「求道の学徒」たる条件を聞いた子貢に対して、孔子は暗に、お前は大丈夫だと認める例を引いたのではないかと考えます。しかし子貢は、敢えてその次を問います。

次に、「宗族称孝焉。郷党称弟焉。」についてです。これは「下焉字用法」というべきもので、文末につけて文意を強調すると考えて、「宗族孝を称す。(焉んぞ称さずおくものか。)郷党弟を称す。(焉んぞ称さずおくものか。)」という語調を読み取りました。この部分は子路第十三(326)にさらに詳しく伝わっています。この点についても特段根拠はありませんが、私見として、孔子は暗に、お前は大丈夫だと認める例を引いたのではないかと考えます。しかし子貢は、敢えてその次を問います。

そこで「言必信。行必果。」についてです。まず、「言必信。」において「信とは言ったことを守るのが原義」であるとされており、「言必信。」とはつまり、「言ったことは、必ず行う。」という意味になると考えます。次に「行必果。」についてです。これは為政第二(029)「子貢問君子。子曰。先行。其言而後従之。(子貢、君子を問う。子曰く、先ず行え、其の言は而(しか)る後にこれに従う。)」に通じており、ここで孔子は、子貢に実行力を課題として指し示していると考えます。この点については、陽貨第十七(458)を参考として下さい。つまり「言必信。行必果。」とは「言ったことは必ず守り、行ったことは必ず果たす。」という意味に解釈できます。

ここにきて、孔子がこの例を引いている理由は、これに先んじて2回、子貢が達していると思われる例で答えているにも関わらず、なお安心して納得せずに問いを重ねてきたことから、日常の課題を指し示して応じたものと解すべきであろうと考えました。従来解釈の多くは、「言必信。行必果。硜硜然小人哉。抑亦可以為次矣。」について、「言必信。行必果。」であることが、コチコチの小人の例として説明されていると思います。「言必信。行必果。」であることが、本当に小人であることの例なのでしょうか。

本章の従来解釈には、子貢への遠慮が働いていると考えます。その遠慮を解き放って自然に読めば、子貢の問いかけに、孔子が2度も評価を与えて答えたが、まだ安心できずに3度目の問いを発したことに対して、「言必信。行必果。」≒「先行。其言而後従之。」=「先ず行え、其の言は而(しか)る後にこれに従う。」という言葉が発せられたと考えると良いと思います。ここまでくると、実は為政第二(029)と子路第十三(322)は、全く同じ場面を伝える章ともいえそうです。

そして「硜硜然小人哉。抑亦可以為次矣。」=「お前というやつは、まったくコチコチの小人だな。まあ何というべきか、これが(お前が望む、)次の答えというべきだろう?」という言葉が続いたと考えます。「硜硜然小人哉。」とは、気持ちの通じている子貢に対して冗談半分に発せられた言葉でしょう。「言必信。行必果。」であることは君子者であって、小人どころではありません。そして「抑亦可以為次矣。」については、「そもそも亦以て次を為すべきかな。」と訓じて、「まあ何というべきか、(まず行えという課題を示すことを)以て、(お前が望む、)次(の答え)と『為す』=『する』ことができるだろう?」という意味になると考えます。

そして最後に、子貢は「今の政治に当たっているものはどうですか。」と問います。それに答えて、孔子は「ああ、つまらない。どうして数えるにも足らんよ。」と答えています。この孔子の発言は、子貢と比較しての「斗筲之人」=「つまらない人」という評価だと考えられることから衛霊公第十五(388)等に通じています。本章も、孔子と子貢の気持ちの通じ合う姿をいまに伝える貴重な対話録と言えるでしょう。