子路第十三(306)論語ノート
樊遅請学稼。子曰。吾不如老農。請学為圃。曰。吾不如老圃。樊遅出。子曰。小人哉。樊須也。上好礼。則民莫敢不敬。上好義。則民莫敢不服。上好信。則民莫敢不用情夫。如是則四方之民。襁負其子而至矣。焉用稼。
樊遅、稼を学ばんと請う。子曰く、吾は老農に如かず。圃を為すを学ばんと請う。曰く、吾は老圃(ろうほ)に如かず。樊遅出ず。子曰く、小人なるかな、樊須(はんす)や。上、礼を好めば、すなわち、民、敢えて敬せざる莫し。上、義を好めば、すなわち、民、敢えて服せざる莫し。上、信を好めば、すなわち、民、敢えて情を用いざる莫しかな。かくの如くすなわち、四方の民。其の子を襁負(きょうふ)して至らんかな。焉んぞ稼を用いん。
樊遅が穀物を得る術を学ぼうと孔子に頼んだ。「お前は熟練の農夫には及ばない。」菜園をつくる術を学ぼうと頼んだ。孔子曰く、「お前は熟練の農夫には及ばない。」樊遅が退出した。孔子曰く。「小人だな、樊須は。上に立つものが相応しい筋道を用いることを好めば、すなわち民は敢えてかしこまる気持ちを抱かぬようにはならない。上に立つものが、かどめ正しく振る舞うことを好めば、すなわち民は敢えて従わぬことにはならない。上に立つものが約束を守ることを好めば、すなわち民は敢えて澄み切った心で応えることをやめることもないだろう。そうすればすなわち四方の民がその子を背負ってまでもその国へやってくるというものだろう。どうして自ら穀物を得る術を用いる心配があるだろうか。」
この章を読むまえに、まず公冶長第五(119)を読むと良いと思います。そうすれば孔子が老農や老圃を侮っているのではないことが分かります。弟子の樊遅が政治について学ぶ立場にあるところ、穀物の心配を始めたことに対して、孔子は、それぞれの専門技能で取り組んでいる者に、にわか仕込みでは及ばないことを伝えています。樊遅が退席した後に、その真意を別の弟子に説明した内容は、読み下し文の通りです。つまりそれぞれの立場で生きることが、それぞれの立場での学を好むということであり、及ばないものに目を移すのではなく、樊遅がいま学んでいる政治について、修養を積むべきだという意味に解せます。ところで「吾不如老農」を「お前は熟練の農夫には及ばない。」と訳しているのは、孔子に遠慮してのことではありません。関西圏の一部では、相手のことを「われ」と言います。そういう今に通じる用法を感じたため、「お前」と訳してみました。