子罕第九(233)論語ノート
子曰。知者不惑。仁者不憂。勇者不懼。
子曰く。知者は惑わず。仁者は憂えず。勇者は懼(おそ)れず。
子曰く。知者は狭い枠にとらわれない。仁者は考えも行動も滞らない。勇者は事態を懼れない。
この章は、八佾第三(061)「哀公問社於宰我。宰我対曰。夏后氏以松。殷人以柏。周人以栗。曰使民戦栗。子聞之曰。成事不説。遂事不諫。既往不咎。 」で、宰我が哀公を懼れずに意見を述べたことに対しての孔子の誉め言葉だと考えることができます。現行では八佾第三(061)での孔子の言葉は「成事不説。遂事不諫。既往不咎。」「成事は説かず。遂事は諫めず。既往は咎めず。」とされています。しかし八佾第三(061)で使われている「松」と「柏」の二文字を論語の中でたどると子罕第九(232)「子曰。歳寒。然後知松柏之後彫也。」だけが浮き彫りになります。そして子罕第九(232)は「子曰く。厳寒の時期に、松柏に導かれて後に記すことを知るだろう。」と解釈できるために、次の章である、この子罕第九(233)の言葉にたどり着きます。
知者は惑わずとは、知識を持つ者は、何をなすべきかについて思いを致すことができるという意味です。勇者は懼れずとは、勇壮な者は、事に臨んだ時に、足がすくんで行動できないことはないという意味です。そして仁者は憂えずとは、「憂」の字が、頭と心、そして足も滞る状態を意味していることからすると、知者の頭脳と勇者の行動力を併せ持つものが仁者であり、つまり仁者は思考も行動も滞らないという意味を表すと考えられます。ちなみに述而第七(157)で孔子が顔淵に対して、用いられるなら働き、評価されないなら身を退くことができるのはおまえと私だけだと言い、別の場面で子路が孔子に、三軍の大将となられたら誰を副官にしますかと問うた時に、「暴虎馮河。死而無悔者。吾不与也。必也臨事而懼。好謀而成者也。」「暴虎馮河。死して悔いなき者は、吾れ与せざるなり。必ずや事に臨んで懼れ、謀を好んで成すものなり。」と述べたように、事に臨んだ時には、むしろ懼れるぐらいの意識が必要であり、そこで熟考してから行動に移ることが大切であるというのが孔子の考えであるため、仁者とは、そういう境地に立つものといえるでしょう。
この子罕第九(233)は、憲問第十四(362)「子曰。君子道者三。我無能焉。仁者不憂。知者不惑。勇者不懼。子貢曰。夫子自道也。」「子曰く、君子を導くもの三あり。我れ能くするなからんや。仁者は憂えず。知者は惑わず。勇者は懼れず。子貢曰く。夫子自ら導くなり。」「子曰く、諸君を導くものは三つある。私にはうまく出来ないが。(どうして出来るといえようか。)仁者は考えも行動も滞らない。知者は狭い枠にとらわれない。勇者は事態を懼れない。子貢曰く。先生は自ら導いておられます。」の構成部分と順番を除けば同じです。
憲問第十四(362)において孔子が自ら謙遜する必要はありません。もしかすると、子罕第九(232)が八佾第三(061)の読み替えを正しく導いているだろうかというメッセージなのかもしれません。