雍也第六(135)論語ノート
子曰。質勝文則野。文勝質則史。文質彬彬。然。後君子。
子曰く。質、文に勝れば野。文、質に勝れば史。文質彬彬、然り。君子の後たらん。
この章は、何度も読み返して見ると、「質勝文則野」「質が文に勝れば則ち野」とはどう解釈するべきなのかと考えさせられます。そもそも、この章は「質が文に勝るだけでは野人だし、文が質に勝るだけでは帳面付け役人だ。文と質が両立して初めて君子といえる。」という解釈が歴史的になされています。
しかし私は「質が文に勝ることが野人」ということは否定的な意味ではなくて肯定的に取り上げられているように思います。私は「質」は実質。「文」は外面のことだと考えます。実質が外面よりも勝るというのは、能ある鷹は爪を隠すという趣旨として例えば述而第七(157)「これを用うれば則ち行い、これを舎けば則ち蔵る。」という孔子の立場に通じるものですし、また泰伯第八(189)「有れども無きが若く、実てるも虚しきが若し。」として曾子が修養に励んだあり方を述べている章にも通じます。つまり、質が文に勝っていてもそれでよいのではないかと思います。
次に「野人」の意味ですが、「田舎者。朝廷に仕えない人。在野の人。」とは広辞苑によります。田舎者という意味ならば子路第十三(329)「剛、毅、木、訥なるは仁に近し。」に通じます。つまり洗練されていないという意味ならば、その事は悪い意味ではないと考えられます。また「朝廷に仕えない人。在野の人」という意味で解釈すれば雍也第六(128)「賢なるかな回や。一箪の食。一瓢の飲。陋巷に在り。」に通じます。実質はあるが在野の人であるという立場が論語の中で否定的にとらえられていないのは孔子の生き方そのものによって示されていることだと思います。
「文勝質則史」は「外面が実質に勝るのは歴史官。」として「歴史官」が文飾を司るので、実質以上に外面を飾る者の例えとしているという有力な解釈があります。また私が思うには例えば子路第十三(322)で子貢が孔子に「今の政に従う者は如何。」と問うたことに対して孔子が「噫。斗筲の人。何ぞ数うるに足らんや。」と答えているように、孔子は、その時代に「政に従う者」の多くについて器が小さいと判断しているので、ここで「史」というのもあるいは「政に従う者」の一例として取り上げているだけなのかもしれません。
以上のことから「質勝文則野」は、何ら否定的な意味ではなくて「実質が外面に勝る人が則ち仕官せずに野にある。」という実情を述べているだけだとも考えられます。一方で「文勝質則史」は「数うるに足りない者が則ち政に従っている。」という否定的な意味を込めているとも考えられます。ここで「則ち」については論理的な必然性を強調して考える必要はないと私は思いますが、あえて「則ち」に必然性を伴って読むとすれば、例えば雍也第六(126)で閔子騫が費の宰を断ったように、質のある者は務められない職には就かないし季氏第十六(421)で孔子が「力を陳べて列に就き、能わざれば止む。」のが相としての立場だと述べたように、君主の誤りを正せない時には職を辞すのが質のある者であるというように考えると、論理的な必然として、乱れた世においては質のある者は「在野の人」になるともいえます。その逆で文が質に勝れば史ということもできるでしょうか。
「実質が外面に勝る者は野にあって、外面が実質に勝る者が歴史官を務めている。外面も実質も兼ね備えている者は、、、」と孔子が述べているとすれば、その続きとして「然り。君子の後たらん。」つまり、「もちろん、諸君が仕官して後のことだろうな。」という趣旨の発言であると考えることもできそうです。「然後」は「しかるのち」という慣用表現なのかもしれません。しかし「然」の一字で「然り」と読む場合も論語には数カ所あります。そして「後+名詞」の用法では、「~の後にする」と読むのではないかという私の仮説に基づけば「君子の後」という意味に解釈できます。そして、「君子」を「諸君」という意味に解釈する場合があるのは宮崎先生の通説なのでここは「諸君の後」という意味に解釈できると思います。諸君の後とは「諸君が仕官して後だろう。」という意味です。実質を備えている人が仕官して相応しい俸禄を得られるなら外面が整うのも自然な成り行きといえます。
以上のことから考えると、この章は孔子が語った政についての現状認識と弟子への励ましの言であると判断をして、「(今の世は)実質が外面に勝る者は野にあって、見かけ倒しの者が政に従っている。(政に従う者に)外面も実質も両立することを望むなら、もちろん諸君が仕官して後のことだろう。」という解釈になります。こういう解釈があってもよいでしょう。
実は、この解釈は衛霊公第十五(385)の孔子の認識と一致しています。宮崎先生の解釈で、孔子は史魚が記録係として邦に良い点も悪い点もまっすぐに記録することを感心し、蘧伯玉には、君主に道があれば仕え、道無きときには引っこむことを感心していると読むのですが、これはそれぞれ通常の記録係の「数うるに足りない」ことへの裏返しの感嘆と、君主の有道、無道で仕えるか否かを決める相としてのあり方を実践する者への感嘆となっています。