理解する
理解するとは理に解することではないか。解するとは分解することを意味する。そして理とは整然としていること。つまり現実の問題を整然とした知識に、分解して当て嵌めることを理解するという。
すでに全網羅の知識をもっているときに、現実に起こる事象を前にして 、それを分解して全網羅の知識に当て嵌め、串ざして関連付ける。それが理解するということではないだろうか。例えば資格試験などで、学習参考書を全網羅式に反復学習するとき、そもそも参考書は条文ベースに知識を整然と並べて記載してある。整然と書かれた知識を何度も何度も読み込んでいけば、1回目の読了の記憶が2回目に想起される感覚があり、3回目の読了が1回目と2回目の記憶を想起させるという感覚があるというように過去経験の参照を作っていくことで知識の総和を形成していくもののようにこれまでは捉えてきた。
ところが、先日経験したことは、例えば建設業の労災保険の保険関係が成立している事業所で常時従業員を雇い入れていなくても、事業主は建設業の保険関係の下に、自身の元請け現場において下請け労働者を常時労働させていることになるから、それらの労災保険の保険料の申告と納付を労働保険事務組合に委託していることのみをもって自動的に事業主としても特別加入の資格を有するだろうか?という自問があった。
そもそも建設業の労災は、有期事業の連続となる。元請け工事とは、直接施主から受注した工事のことだが、3万円のドアノブ取り付けのような小さい工事も元請け工事になりうる。しかし主にそうした工事を下請け発注なしに自分だけで行う人は、労働者を使用していないことになるから、むしろ一人親方の労災保険に加入すべき人となる。ゆえに建設業の労災保険の保険関係が成立している事業所であるからといってその事業主が「自動的に特別加入の資格を満たす」ものではない。ところで有期事業の一括については法律上当然に行われるとされているが、以前は一括開始届というものを提出しなければならなかった。その書式は、元請け現場の受注予定をいくつか記載させるものだったことから、元請け工事がいつあっても良いように、まず保険の入れ物だけを作っておくというような運用を考える上での妨げになっていたのかもしれない。などと、現実の問題を参考書の知識の断片に当て嵌めていくことができるという感覚を得た。
本例は全く稚拙で複雑とは言えないものの、いくつかの論点が絡み合う現実の問題を前にしたとき、「整然とした条文ベースの参考書の知識」=「理」に分解して過去に得た知識と照合することができれば、それを理解というのではないだろうか。つまり理を得ただけでは生きた知識になり得ておらず。現実の問題を理に分解して当て嵌めて全体像を認識し、相互の関連性を整然とした知識=「理」の側にも与えることでより立体的な知識の総和が作られるという。しかし、それは知識相互間の新たなリンクの追加なのではなく、もともと「理」というものが、そうした立体的で相互関連的な物事をそのあるがままの姿であらわしたものであり、それが現実の問題に接して、それを当て嵌めることによって、より深く認識できるようになるということに他ならないのだろう。