修行
修行とはあるものごとに習熟した人がその処理に掛かる時間を標準作業時間と呼ぶときに、その物事に不馴れな新人がその処理を標準作業時間でこなせるようになるまで反復して努力している状態をいう。
かつて労務の仕事をしている人から労務の仕事には深さがあり深堀りしようとすればいくらでも深堀りできると教わった。ゆえに修行とは自分に折り合いを付けていく過程でもあるという。どこまで掘り下げれば妥当であるかは人によって納得の度合いが異なるから標準作業時間で収まるまでの習熟期間も自ずから異なってくるというものだ。
修行が許される場合もあるし、体制として無理なこともある。家庭の事情で無理なこともある。だから修行が成就しないこともある。修行期間が長い・短いで優れていたり劣っていたりする訳ではない。人それぞれの技術を身につける道のりに他ならない。
段取りが悪い人。要領が悪い人。理解が遅い人。そう見られることもある。ただその努力は学而第一のように同じ道を通った人からは見えている。確実に評価と信頼に繋がっている。それが修行の道のりに他ならない。