大文字五山送り火の法の山から山間園路を西に進むと、園路の分岐点に到着します。ここから、南にしばらく下ると、松ヶ崎の古くからあるお社にでます。自然石を削って積み上げた石垣の基礎部分などをみると、このお社の歴史の古さを感じます。いつ頃からここにまつられているのかわかりませんが、地元で大切にされているのでしょう。ここから少し下ると、車がすれ違える程度の道があり、松ヶ崎小学校が見えてきます。
説明 | 写真 | |||
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園路合流地点の内、南側に下る道の両側には、石が置かれています。そこを下っていくと、道の状態は、大雨が降った時などに自然に水の流れる跡が道になったようなかんじです。道の真ん中が特に浸食されたように窪んでいます。 | ||||
地層が感じられる岩肌もあります。道は、真ん中が窪んだ、水の通り道のような状態で、実際に少し水が流れているようにしめっています。 | ||||
しばらく下ると、ふもとの明るさが感じられるようになり、道も相変わらず、水の通り道の様相ですが、新しい石柱が目に入り、「歴史的風土特別保存地区」と記されています。こんな具合ですから、この道は昔からの状態が保存されているのでしょう。 | ||||
そうして少しひらけたところに、何かの舞台のような造りの建物があり、神社にあるがらがらなる、鈴がつけられています。その先には、小さなお社があります。あたりは少し崖に面したような空間で、自然の岩の空洞のようなところや、石がいくつか積み重ねられたようなところも見えます。古くからこういう場所であったような雰囲気が漂っています。 | ||||
灯籠の間を通って、石段を下ると、自然石を積み重ねた壁が目に入ります。何かの建物跡のようにも見えますし、古墳の壁面のようにも感じられるほどです。鳥居の基礎だけが残ったような跡も通り過ぎて、現在も残っている鳥居をくぐります。先のは、ちょうどこの鳥居がもう一つあった跡のように思われます。車の通る道まで降りて来ると、石柱があり、「眼病救護七面大天女道」と刻まれています。 | ||||
写真の石柱の一番右端のものには、「慶應三年」という文字が読めますので、大政奉還の年の石碑であることがわかります。このお社そのものは、それよりも古いのでしょうから、少なくとも江戸時代からあるお社だと思われます。 | ||||
ここまでくると、真新しい小学校の校舎が目に入ります。これが京都市立松ヶ崎小学校です。この立地条件なら、少し山道を上れば、すぐに宝が池公園を散策できることがわかります。自然豊かな環境にある小学校であり、大変恵まれた場所に建っていると思います。 |