陽貨第十七(448)論語ノート
子曰。道聴而塗説。徳之棄也。
子曰く。聴くを導きて、説くを塗(みちび)けば、徳をこれ、棄つる也。
孔子が言うには、諸君の耳で聞くべきことを導いて、諸君の思考の結果としての説くことを上塗ってしまえば、諸君の徳を棄てることになる。
聴くとは真っすぐに聞く。自分の耳で聞くことだと考えます。その聴き方に解釈を与えて指導すると、それぞれの受け止め方が最初から定まってしまいかねません。そうすると聴いたことが頭の中で再構築されて解きほぐされることにならず、自身の言葉として説くという過程に繋がらないのではないでしょうか。徳とは、生まれた後に体得する良心であり、憲問第十四(368)に直と徳の違いが説明されています。徳は直を重ねて自ら体得する良心かもしれず、当人の試行錯誤を経なければ得られないものかもしれません。故に一方的に導いたのでは、徳を棄てることになるということではないでしょうか。特に、棄てるとは「赤子を捨てる」という意味であり、大切に育てるべきものを捨てることになってしまうと感じます。
本章は、陽貨第十七(453)で孔子が「もう物を言うまいかな」と述べたことにも関連するように感じます。「直ぐに聞いて直ぐに説けば向上心がない」という従来解釈も大切ですが、孔子の教授法への思いとして読めば、なお現代に生きてくるように思います。