公冶長第五(119)論語ノート
子曰。十室之邑。必有忠信如丘者。焉不如丘。之好学也。
「子曰く。十室の邑にも必ず忠信の丘の如き者あり。焉んぞ丘に如かざるや。これ学を好む也。」
十室程度の村にも必ず忠信において私と同じような者がいるものだ。どうして彼らが私に及ばないことがあろうか。忠信ならば学を好むと謂えるのだ。
この章は、従来から孔子が自分のように学問を好むものはいないと述べていると解釈されています。しかし孔子が、わざわざ「自分は学問好きだ」と述べる理由はないと思います。孔子は学而第一(014)でも「焉んぞ、学を好むと謂うべきやのみ。」として学を好むだけでなく行動で示すことを求めていると私は思います。子夏が学而第一(007)に「父母に事えては能く其の力をつくし、君に事えては能く其の身を致し、朋友と交わり、言いて信あらば、未だ学ばずと曰うと雖も、吾は必ず之を学びたりと謂わん。」という通り、生活の中で実践的にその道を示すことができる人ならば学問を修めていると謂えるという考え方があります。公冶長第五(119)についても孔子が同じ趣旨として「十室の邑にも忠信において私と同じように行動している者がある。彼らはその行動において学を好むといえるのだ」と述べているのではないでしょうか。