八佾第三(064)論語ノート
儀封人請見曰。君子之至於斯也。吾未嘗不得見也。従者見之。出曰。二三子。何患於喪乎。天下之無道也久矣。天将以夫子為木鐸。
儀の封人(ほうじん)、見(まみ)えんことを請うて曰く。君子の斯(ここ)に至るや、吾れ、いまだかつて見えずんばあらず。従者これを見えしむ。出でて曰く。二三子。何ぞ喪うるを患えんや。天下の道無きや久し。天まさに夫子を以て木鐸と為さんとす。
儀の邑の国境警備の役人が、孔子に面会することを求めて言った。「君子が国境に至るときには、私は必ず面会しなければなりません。」そこで従者が役人を面会させた。役人は面会後に言った。「皆さん、もはや失われたものを気に病む必要はありません。天下の道が無くなって久しいものですが、天はまさに先生をもって、警世の士として遣わされたのですぞ。」
訓読にあたっては、「斯」を裂け目と捉えて国境と読み、「喪」を孔子の不遇ではなく、天下に道が失われたことを指していると読んでみました。そのうえで感じることですが、孔子は諸国を旅しつつも、その実力を発揮する機会には恵まれていなかった。そのような不遇を論語の中で目の当たりにすると、現代社会においても、それを上回る不遇などあるだろうかと思うことができることに気が付きました。孔子でさえも登用されないのだから、素直に自己努力を重ねようと思うことができます。そうすれば儀の封人のように、ときには励ましてくれる方もあるのですから。