引きこもり
多様性に乏しい社会が抱えている脆弱性。そこに苦しんでいる人を捉えて、それを個人の問題として定義付けることば。人間は生きていくためにお金を稼ぐ必要がある。お金で生活に必要なものを購入して消費して生きていく。ゆえに何らかの形で社会との接点を持たなければならない。この何らかの接点ということが、会社に勤めたり、個人で自営業を営んだりすることを意味するが、その接点の有りようが多様でない社会では、うまく適応できない人が出てくることになる。多様な働き方、多様な社会参加の仕方が増えることを願いたい。もともとお金を十分に所有している人なら、少ない選択肢の範囲内で社会と関わるということを強制される心配もない。人とうまく関わることなしには、生きていくことができない社会とは、実は多様性のない脆弱さを露呈した社会なのかもしれない。仙人や修行僧が山にこもっていることを引きこもりと言わないのは、そうした生き方が社会的に認められているからに他ならない。人との直接的な接点をもたなくても、生きていける手段が多様に存在する社会が望ましいのではないだろうか。